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はじめまして、当ブログオーナーの石川紫野です。

「石川紫野ってどんな人?」と思っているあなたへ、私のこれまでの歩みを紹介していきます。

目次

幼少期~学生時代

歌やダンス、お芝居が大好きな子どもでした。
同級生たちが将来の夢は「お花屋さん」「ケーキ屋さん」と言っている横で、私は「テーマパークで歌って踊る人」と言っていたことを覚えています。

中学校で演劇にのめり込み、高校では劇団に所属していた時期もありました。
大学では演劇を学問として学び、浄瑠璃の舞台演出について研究した卒業論文が好評で、多くの教授や同級生に大学院に進学すると思われていたようです。

厳しい両親のもとで育ったため、無意識に「真面目なふり」をすることに慣れており、
周りからも「真面目そう」「賢そう」というイメージを持たれることが多かったように思います。
私自身もそのイメージを裏切ってはいけないという謎の使命感を抱いていました。

そのため、本当は大学院への進学に興味があったのに、半ば流される形で社会人になることを決めました

和菓子メーカー時代

販売物のライティングとの出合い

有名和菓子メーカーに入社し、百貨店での販売を経験後、本社に戻って販売促進を担当しました。
お店のディスプレイを考えたり、販促物を制作する一方で、田植えや稲刈りに駆り出されたり、都会のオフィスで働くのとは全く違う面白い体験をたくさんさせてもらいました。

メインで担当していた販促物のライティングでは、口下手な職人さんたちとコミュニケーションを取り、お菓子に込める思いをことばにして伝えるお手伝いをしていました。
お客様の心に届くことばを書きたくて、自費で宣伝会議のコピーライター養成講座にも通いました。

力を入れて制作したバレンタインの商品カタログは、私の文章がきっかけで商品を買いに来てくださったお客様もいたそうで、店長さんからエピソードを聞いた時は涙が出るほど嬉しかったです。

ひっそりと育っていたお腹の中のモンスター

本社に戻ってからの仕事はとても楽しかったのですが、百貨店時代の無理がたたって、2度の入院と手術を経験することになります。
腹部に、30cm以上の巨大な腫瘍が見つかったからです。
お腹の中で成長を続けていたモンスターは、身体だけでなく心にも、大きなダメージを与えて去っていきました

闘病を経験したことで、

自分の足で歩いて、好きなものを食べて、自分の言葉で伝えられるうちに、もっと色んなことをしなければ

と強く思うようになりました。

兼任していた新ブランドの広報の仕事を通して、社外の方と接点が持てたことも、視野を広げるきっかけになりました。

こうして外の世界を見てみたくなった私は、「誰も自分のことを知らない場所で暮らしてみよう」と、台湾への語学留学を決意します。

台湾留学

恋人との出会い

突然思い立ったわりには、運良く3ヶ月間の奨学金を獲得することができ、順調に新生活をスタートすることができました。
語学学校で今の恋人に出会い、彼から自分を肯定することを学びました

出会った当時から、彼がよく口にしていた言葉があります。

どこで生きるかではなく、誰と生きるか

私は後にこの言葉の意味を深く考えるようになります。

私には合わなかった台湾での生活

結局私には、台湾は合いませんでした。
自分では気付かなかったのですが、台湾にいた1年数カ月の間に激ヤセしていたようです。

就職活動も試みましたが、母国でも難しい職探しを外国で行うのはハードルも高く、相当なストレスがありました。異国の地で自分のやりたい仕事を見つけるのは難しいと痛感しました。

やっとの思いで見つけた仕事も、職場で犬が放し飼いされていることが入社後に発覚し、動物アレルギーの私はやむなく退職することに。
会社側の伝達ミスによる退職にもかかわらず、給料は支払えないと言われ、公的機関に頼ると会社からの脅しに遭いました。

ただでさえ弱い立場の外国人ですから、そのまま同じ場所で暮らし続けるのが怖くなりました。
「誰と生きるか」を選択したかったけれど、恐怖に打ち勝つことができず、帰国することを決めました。

帰国後

毎日がつまらなかった商社時代

帰国後の転職活動は比較的スムーズに進み、商社で雑貨部門の企画補助として働くことになりました。

ところが、入社してからの毎日は、とてもつまらなかった
給与も休日も、通勤にかかる時間も、すべてが新卒で入社した会社より良かったのに。

その時に感じたのが、和菓子メーカー時代の仕事が好きだったんだということです。
企画系の仕事なら楽しく働けると勘違いしていたけれど、食品の企画の仕事が、中でも商品の魅力をことばで伝える仕事が好きだったんだと気付きました

元々商社には安定を求めて入社したため、ある程度お金が溜まったら、数年後には書く仕事に戻るよう動き始めようと考えていました。

フリーランス”という言葉が漠然と頭に浮かんだのは、この頃からです。

自分の身を守れるのは自分だけ

実は、私が帰国して1週間も経たないうちに、新型コロナウイルスが世界的に大流行しました。
「すぐに会えるから」と彼をなだめて帰国した途端の、世界規模の大変化でした。

自分たちの国籍が違うという現実を突きつけられました。
お互いの身に何かあっても、駆けつけることができないんだと、怖くなりました。
目には見えない国境という厚い壁が私達の間にはあるのだと、この時初めて実感したように思います。

日に日にひどくなっていく世界の状況に、

相手を安心させるためにどうすべきか
自分を守るためにどうすべきか
二人が一緒に生きていくためにどうすべきか

真剣に考えました。

今度こそ、「どこで生きるかではなく、誰と生きるか」を選ぶために。

組織に所属している以上、思い通りにならないこともあります。
リモートができる仕事なのに、社員の声だけでは会社の古い体制を変えることは難しいのが現実です。

会社が社員を守ってくれないのなら、自分の身は自分で守るしかない。

予定を早めて、在宅フリーランスの道を選びました。

フリーランスライターになって

実際にフリーランスライターになってみて感じたことは、
上手く行かなかった時に、自ずと気付いて方向転換ができれば上手くいくということです。

最初からすべてが上手くいっていたわけではありませんが、
自分の状況を客観視し、どこに向かっているのか、目的地への道が合っているのかがわかれば、怖くはないと感じています。

最初は記事の構成なんて全くわかりませんでしたが、今では0から記事を作成することができるし、
本格的にランサーズを始めてたった1ヶ月で最高ランク「認定ランサー」に昇格することができました。

認定ランサー昇格後も、

  • Webライター歴2ヶ月でWebディレクター/ライティング添削講師に
  • Webライター歴3ヶ月で月収10万円達成
  • Webライター歴4ヶ月で月収15万円達成

と、着々と前進しています。

これもすべて、

目的を明確にし、その目的に向かってどう動くか

これを日々確認し、脇道にそれてしまったらきちんと修正することを学んだ結果だと思います。

ですから、自分の人生の舵取りができれば、フリーランスとして生きていくことは難しくないと考えています。

今の私の目標は、彼と一緒に生きていくこと。
そのためには、外国に移住する必要があるでしょうし、お金もたくさん必要になるでしょう。
だから今は、海外に移住しても暮らしていけるように、経済的な基盤を築くことに注力しています。

現在の仕事内容について

現在は、Webライターを軸に、主に以下のお仕事を受注しています。

  • 企業専属ライター
  • Webディレクター
  • ライティング添削講師
  • コピーライティング
  • 動画編集
  • YouTubeへの出演

お仕事のご依頼について

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

現在、お仕事のご依頼を受け付けています。
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